残暑の厳しい昨日、6年ぶりに飯能を訪ねた。狙いは幕末の慶応4年、官軍に抵抗した振武軍が壊滅した飯能戦争縁の場所を確認すること、及び鎌倉武士として有名な畠山重忠の伝承地を確認することにあった。辿った道筋は次の通り。
八高線東飯能駅 →玉宝寺 →八幡神社 →廣渡寺 →心応寺 →智観寺 →能仁寺 →天覧山 →見返り坂 →大六天神社(伝畠山重忠墓) →諏訪八幡神社 →観音寺 →西武池袋線飯能駅
新たな知見が多々得られた。
(1)振武軍は本陣を能仁寺に置いた。
(2)振武軍は部隊を玉宝寺、廣渡寺、心応寺、智観寺、観音寺に分散配置した。
(3)飯能戦争で4ヶ寺(能仁寺、廣渡寺、智観寺、観音寺)が兵火で焼け落ちた。
(4)智観寺の山門の一角に、飯能戦争の砲弾の痕跡が残されていた。
(5)智観寺は平安時代の創建で、代々中山氏の菩提寺であった。
(6)智観寺には八王子城落城時の猛将中山家範の次男信吉の墓がある。
(7)展覧山は明治以降の名称で、以前は愛宕山、羅漢山などと呼ばれていた。
(8)重忠伝説の見返り坂を確認した。坂は多峯主山へ向かう登山道であった。
(9)重忠伝説の墓を確認した。樫の大木の根元に2基の板石塔婆があった。
(10)重忠墓所には大六天神社があった。
それにしても智観寺の庭師さんは親切だ。山門の砲弾跡を案内して指さし説明してくれた。また飯能戦争をモデルにした小説の存在も教えてくれた。感謝感謝。
[参考]多摩のジョギング道
[写真]飯能戦争の砲弾跡が残る智観寺の山門