ゴールデンウィーク初日の4月29日~30日、久米川や分倍河原合戦で活躍した建武中興戦争の立役者新田義貞の終焉の地である越前(福井県)金ヶ崎城と新田塚を初めて訪ねた。辿った道筋は下記の通り。
東京 →敦賀駅 →気比神宮 →金前寺 →金崎宮 →金ヶ崎城跡 →金ヶ崎緑地 →鉄道資料館 →市立博物館 →(ホテル宿泊) →敦賀駅 →新田塚駅 →新田塚(新田神社) →新田塚駅 →三国駅 →(バス)→東尋坊 →(バス)三国駅 →福井駅 →柴田神社(北ノ荘城跡) →福井駅 →東京
初めての訪問であり多くの知見を得た。
①気比神社は越前の一之宮で、南朝と深い関わりのある神社であった。
②城山麓の金前寺観音堂で尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)が自害した。
③金ヶ崎は気比氏の館があった所で、義貞はこれを修築して金ヶ崎城とした。
④金ヶ崎城は三方を断崖絶壁の海で囲まれた稀にみる要害地であった。
⑤金ヶ崎城跡には、一~三の木戸、本丸(月見御殿)の遺構が残されていた。
⑥本丸断崖下に恒良親王が衣を掛けた松があったという絹掛ノ崎を確認した。
⑦金ヶ崎城跡には尊良親王御墓所見込地なるものがあった。
⑧新田義貞の戦没伝承地である燈明寺畷の新田塚を初めて確認した。
⑨新田塚は新田神社となって祀られていた。
⑩堂内には『暦応元年閏七月二日 新田義貞戦死此所』と刻んだ塚が立つ。
遥々福井まで来たので、ついでに各地の名所旧跡を訪問したが、やはり東尋坊の景観はピカ一でした。
[参考]多摩のジョギング道-坂東武者が駆け抜けた鎌倉街道上ノ道
[写真]新田義貞が戦死した燈明寺畷に建つ新田塚