鎌倉武士の鑑と言われた秩父平氏の頭領畠山重忠は元久2年(1205)、埼玉嵐山町菅谷の館から鎌倉へ向う途中、横浜郊外鶴ヶ峰で北条氏に謀殺された。鶴ヶ峰は何度か訪問したが菅谷館跡は未訪問なので今回館跡を訪ね詳しく探索した。館跡は東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩15分の所だ。館跡は重忠以降も城として受け継がれており、特に戦国時代の後北条氏によって修築され、見事な城郭として残されていた。辿った道筋は下記の通り。
搦手口 →三の郭 →二の郭 →畠山重忠像 → 南郭 →本郭 →嵐山史跡博物館 →二の郭 →南郭 →ホタルの森 →都幾川水辺 →二瀬橋 →鎌倉古道碑 →搦手口
初めての訪問であり、得られるものは多かった。
①館跡の広さに驚かされた。
②前々からこの目で見たいと思っていた畠山重忠像を見ることができた。
③郭、空堀、土塁、いずれをとっても見事な城郭であった。
④博物館は重忠の人物像と嵐山町とその周辺の歴史を知るのに参考になった。
⑤館跡の西側に残る鎌倉古道碑を確認することができた。
[参考]多摩のジョギング道
[写真]菅谷館跡に立つ武蔵武士畠山重忠像