新田義貞鎌倉攻めの3ルートのうち、残る村岡から鎌倉へ至る、いわゆる鎌倉街道上ノ道を辿った。建武中興戦争で最も激戦となった道筋である。辿った道筋は次の通り。
藤沢駅 →藤沢橋(境川) →遊行寺 →柄沢橋 →慈眼寺 →日枝神社 →二伝寺 →村岡城址公園 →武田薬品 →東海道線ガード →神戸製鋼 →町屋橋(柏尾川) →泉光院 →JR大船工場(泣塔) →湘南モノレール →大慶寺 →駒形神社 →東光寺 → 梶原地区 →源氏山公園 →化粧坂 →岩船観音堂 →浄光明寺 →小町通り → 藤沢駅 全行程約13km
得られた成果は多かった。
①遊行寺は時宗の総本山で立派な寺であった。境内の大銀杏が見事であった。
②遊行寺に伝説の小栗判官・照手姫の墓所があることを初めて知った。
③二伝寺が坂東平氏の祖村岡五郎の墓所であることを初めて知った。
④建武中興戦争の激戦地、村岡城址を初めて訪ねた。
⑤JR大船工場の一角に泣塔らしき塚を見た。
⑥寺分の地名ゆかりの大慶寺は立派に再建されていた。
⑦梶原谷から化粧坂を抜けるルートを初めて経験した。
⑧岩船地蔵堂に頼朝息女の悲劇の大姫が祀られていることを初めて知った。
⑨南北朝時代の幕を切って落とした浄光明寺を初めて訪ねた。
[参考]多摩のジョギング道
[写真]建武中興戦争の激戦地、村岡城址公園