ようやく春の日差しとなった今日、四ツ谷、飯田橋界隈の彰義隊や振武軍ゆかりの旧跡、及びその他の旧跡を訪ねた。辿った道筋は次の通り。
四ツ谷駅 →鮫河橋坂 →せきとめ稲荷 →円応寺跡 →信濃町駅 →飯田橋駅 →安藤坂 →牛天神 →傳通院 →処静院跡
→小石川後楽園 →水道橋 →神田上水懸樋碑 →水道橋駅
いくつかの新たな知見が得られた。
1)せきとめ稲荷に鮫河橋地名発祥之碑が立っていた。
2)彰義隊・振武軍縁の円応寺跡は下町風の住宅街で遺構は全くなかった。
3)牛天神は源頼朝が腰かけた石をご神体として祀った神社であった。
4)傳通院山門前に塔頭寺院の処静院の門前にあったという石柱があった。
5)処静院は浪士組結成の場所であり、彰義隊・振武軍縁の場所でもある。
6)処静院跡は傳通院の西隣の住宅街の中であるが遺構は全くなかった。
7)水道橋の下流200m付近の左岸に神田上水懸樋跡碑を確認した。
それにしても新撰組の前身浪士組結成の場となり、また彰義隊や振武軍の結成にもかかわった処静院が全く跡形もないというのは残念というほかない。
[参考]多摩のジョギング道
[写真]幕末の浪士組、彰義隊、振武軍縁の小石川傳通院の山門