東村山の八国山東麓には鎌倉街道上ノ道が走り、建武中興戦争における久米川古戦場として知られる。今まで八国山界隈の鎌倉道は何度も走ったが、本道ではなく支道や間道を走ってきた。それには理由があって、北多摩の鎌倉街道上ノ道はその多くが府中街道と重なり、車の廃棄ガスがひどくて、とても走る気にはなれなかった。ただ東村山駅付近からは府中街道から分岐し、かつての久米川宿を抜ける街路となっているので、今回、この旧久米川宿付近に限定して詳細に辿ることにした。ルートは下記の通り。
東村山駅 → 鎌倉古道址 → 白山神社 → 立川家長屋門 → 悲田処跡(稲荷) → 徳蔵寺(元弘の板碑) → 旧久米川宿の通り → 熊野神社、富士塚 → 東村山駅
徳蔵寺は太平記に記された新田義貞の鎌倉攻めを実証する元弘の板碑が保存されていることで有名で、既に何度も訪れている。今回の最大の目的は、①鎌倉道の府中街道からの分岐点の確認、②鎌倉時代、佐渡へ配流される日蓮上人が宿泊したという立川家の確認、③以前の探索で未確認のままになっている平安時代の救護施設の悲田処跡を確認すること、であった。今回この3点をすべて確認できただけでなく、白山神社の存在、や旧久米川宿の通りと思われる道を歩けたこと、それに熊野神社境内で、江戸時代の富士山信仰の証である大きな富士塚を発見したことは大きな成果であった。これで八国山界隈の鎌倉道もほゝすべて実踏したことになり満足した。
(参考:
多摩のジョギング道「坂東武者が駆け抜けた鎌倉街道上ノ道」)
[写真: 府中街道からの分岐点に立つ鎌倉古道址の標柱]